大学生活まとめ

1年

前期は授業が想像以上に詰まらなくて死亡。あと、関数型言語に触った事ある人が周りにいなくて衝撃を受けた…。情報学科には変態しかいないと思っていたので、妄想と現実のギャップが激しすぎてやる気がなくなる(でも、面白い人ももちろん何人もいた。大半が今年大学の外に出てしまったけれど)。その後、大学行くと時間が勿体ないので家で勉強したりプログラミングしたりするようになる。後期はほとんど大学に行かず。単位落としまくり。

プログラミングの授業では友達とビリヤードを作ったりソフトウェアリアルタイムレンダラを作ったり。

この年からゲーセン友達とルームシェアをしていた。しかし残念な事に凄く治安の悪い地域だったらしく、俺も友達も財布無くし率が超高かった。たぶんスリに遭ってたんだろうなぁ。家に泥棒も入るし。泥棒ヤバイね。豪快に盗まずにちょびちょび盗んでく。生活がやばかったのでバイト開始。そして友人にスロを教えて貰って頑張った。メインはもちろん当時全盛期だった北斗。友人は最高104連という神の引きを持つ男。一撃15000枚くらい行ったらしい。俺は最高50連だった。設定4か5だったけど、そのときはさすがに万枚行った。

2年

さすがにやばくなったので語学だけはまともに出席するようになる。相変わらずスロ三昧。スロが安定してきたのでバイトは辞めた。月の半分はスロ→飲み屋orゲーセンという感じ。4号機がどんどん挙動不審になって、5号機が出始めた、という時期だった希ガス。ケーン!!→バシューン→アレ?みたいなのもあった。あと意味不明な機械割りが低い4号機がいっぱいでたなぁ。俺的沖スロ全盛期。南国のはまりっぷりは異常。なんで俺が打つといつも某罠モードにいるんだろうね。そして、島唄を返してください。

この年の春は、みんなが番長秘宝伝で苦しんでいるときに、一人ストイックに餓狼を打ってた。相当打った。めちゃくちゃつまらなかったけど。最後の方は無意識にナビを取る境地に達していた。たまに1/3回転で止まる謎制御を見つけたり。さすがに打ちまくっていたのでプレミアは全部見たっぽい。最高6000枚くらい出た。初代餓狼(スロ)について熱く語りたいんだけど、語り始めると終わらなくなるのでやめとく。

また、この年はICPCの国内予選突破したら単位あげるよ!という授業があったので、気合いを入れて参戦。もう一つの2年生チームとかなり接戦だった。そのチームの柱は首席だったのかな?まあかなり納得できる首席。で、結果は確か19位くらいでギリギリ国内予選を突破。大学から4年の強いチームが1つ出ていたので、本当にギリギリだった。アジア予選ではフルボッコにされて下から4番目くらいだった気がする。

この年は全然勉強しなかったなぁ。今思えば残念すぎる。でも確か皆伝プレイヤーになってしまいました。

プログラムの課題ではネットワーク対戦テトリスを作った。

3年

ICPC2年目。ちょっと成長して、たまたま合宿にいけるチーム数が多かったので、運良く合宿にいける事になった。これでかなりやる気が復活。この年の夏は相当勉強して、Introduction to Algorithmsを2週間で半分くらい読んだ。そして、長年エアコン無しで修行してきたせいで、水分不足による体調不良が色々発生。尿路結石もできて、このときはマジで死ぬかと思った。やべ、これガンなんじゃないかと勘違いするくらい痛かった…。まあ今もまだあるんだけどね石。

後半は、ICPC関係の先輩達経由で、半年早く研究室を体験。研究室の一番良い面と最悪な面を同時に見てしまい、ちょっと心に迷いが生じる。この年、気まぐれで取っていたGREの算数問題を題材に進めていく授業の先生から、アメリカの大学院に関する話を色々聞いて、冬くらいからアメリカ行きを考え始める。とりあえず、色々あって、もう早稲田にはいたくなかった。書くとだるいので書かないけど、俺はもう早稲田を出る決心した。

とりあえず、3年目は本当にICPCの年だったなー。UnknownやMaximumの人達にお世話になりすぎた。彼ら無しではここまでの成長はあり得なかったと思います。本当に。伝説のデスピサロごっこもこの年だったと思う。

1ヵ月でC#を学習→アプリ製作(7000行くらい)というのを決行した。しんどかった。あとなんか変なものを作った記憶があるけど何作ったか忘れた。

4年

上で書く。