今年まとめ

グダグダ長文タイム。

今年は、早稲田に残りたくない、というところからスタート。研究室配属はもちろんB4。でも成績が悪かったので、結果的に一緒に悩んでた友達と色々相談した。そして、彼がM0コースを取ったので、自分がB4になれたという感じ。なんか譲って貰った感がしてちょっと申し訳なかった。まあこれは、4年生の2/3、100人近くが「推薦」により大学院に進学するという意味不明なシステムのせいなんだけどね。逆に中途半端に学外に出ようとする方が道が狭まる可能性もあった。本当に意味が分からない。

研究室を決めるにあたっては、今まで勉強した事のない知識を集中的に身につけたいというところが決め手になった。Linuxとネットワークプログラミング周りの知識。そうなるとやはり今熱いのは情報検索。この分野は調べてみるともの凄く面白そうで、プログラムも沢山書けそうだった。特に分散処理してそうなところが格好良すぎて、もうこれはこの研究室に入るしかないと、3年の1月か2月くらいに決めていた。

4,5,6月は、死ぬ気で頑張った。週に2回本キャンに通いつつ、論文読んだり本を読んだりしつつ、毎週2本ペースで英語でエッセイっぽいものを書いていた。5月くらいは特にアメリカの大学院に行く気満々だったと思う。でも、ちょっとして、自分が踏み込んだ分野の広さに愕然とした。本当に、11月にアプリケーションを書くまでに、心から「これは5年間研究したい!」と思えるものに自分が出会えるのか(思いつけるのか)どうか、わからなくなった。

今の自分は知識を増やしたいが、それはただの勉強であって、研究ではなかった。新しい事を生み出すより、とりあえず知識を付けてできる事の幅を広げたい。そう言う思いが強かった。まだ研究をするには未熟な段階だったのかな。まだまだ知識を増やしたい段階。その段階でアメリカの大学院に行って生き残れるのか?5年間(行きたかった大学院はいきなり博士課程で申し込むので最低5年必要)やる気を維持できるのか?と言った不安が大きくなった。アメリカの大学院はガチにお金を払うと年間500万くらい必要なので、奨学金を貰えなくなることは中退&帰国を意味する(ちなみに、アメリカでは、日本の某学生ローン機構のものと違い、基本的に奨学金という名前のものは返還しなくて良いものしかない)。そんな状態で日本に帰って仕事あるの…?特に、自分の場合は大学に入った時点で2浪生と同じ年齢だったので、これ以上アホな事をすると本当に人生が終わる危険性があったため、慎重にならざるを得なかった。

そんな感じで、ちょっと進路に悩み始めていた時期に、絶妙なタイミングでついったーにこんなことを書かれてしまったので、これはもう行くしかないと思って速攻で申し込んだ。結果として、これがやばかったですね。なにこれ、先生と話す以外に研究室にいる意味がなくね?という、凄まじい環境。周りもICPC的な意味でも普通の意味でも神ばっかり、しかも自分がやりたい分野がモロかぶりなので、自分にとってはまさに理想の環境だった。働きながら、全く知識が無かったLinuxについて色々教えて貰ったり、お薦めの本を教えて貰ったり。かなり知識を増やすことができた。

そんなこんなで、勉強しつつ、アメリカの大学院について色々調べつつ、バイトしつつ、ちょっと研究、という生活を送っていた。この時点、8月くらいでは

  • アメリカの大学院
  • 日本の大学院
  • その他

という3つの進路で悩んでいた。と言っても、アメリカ用の勉強が想像以上にしんどくて、日本の大学院を受ける気力がなかったので、日本の大学院は早稲田しか受けなかった。

疲れてきたのでまた気が向いたら経緯を書くけど、最終的には今の就職という結論に落ち着いた。かなり悩んだ。

ぐだぐだ長文ごめそ。

ICPCについて書かなかったけど、ICPCも色々あった。でも、他の事の比重があまりにも重すぎてそれどころでは無かった感もある…。結果的には自己ベを更新して大学順位5位とかまで行けたけど、ちょっと残念です。全然練習ができずにチームメイトにも苦労をかけてしまいました。すません。